読書の日記を始めたい

読書の日記を始めたい。

最近、垣内正午さんの著書「プルーストを読む生活」という日記本を読んでいるがこれがめちゃめちゃ面白い。著者の知性と読書への楽しみがふんだんに盛り込まれた本で個人的に大当たりの本だった。

こんなに感銘を受けた結果、単純な私は「私もこんな日記本を作りたい!」となったのであった。ただいきなり本を作るなんて土台無理な話なので他人に気軽に読んでもらうツールであるブログで似たようなことをやっていきたいと思い、久しぶりに放置していたブログを開き、日記を書いているのである。

というわけで、読書の日記、始まります。

今日は山本貴光さんの著書「マルジナリアでつかまえて」をようやく読み終えた。
この本を要約すると、本を読むのにマルジナリア(本の余白の書き込み)をすることで攻めの読書ができ、本が自分だけのカスタムされた一冊になる。という内容だった。
読みながら確かにこの方法を取るとより本の内容に対して攻めの読書が出来るかなと思う一方で、本に書き込むのにはやっぱり抵抗がある、また読み返す時にきれいなままで1から読み返したい等別に書き込みしなくてもよくね?って気持ちもある。この本はめちゃめちゃ面白かったけど、多分私は余程のことがなければマルジナリアをすることはないと思った。

ただ、そんな私もこの本を読む前からマルジナリアをしている本がある。それは教科書だ。私は教科書にとにかく書き込むタイプで新しく知ったことはゴリゴリ書き込む。今でも勉強の際には勉強の際に使用する本には迷わず書き込み─即ちマルジナリア─をする。

この二つの境目は一体なんであろうか。無意識のうちに勉強と読書を分けているのか、それとも何か自分ではわかっていない理由があるのか……よくわからないのが本音である。

基本調子がいいのが私なので舌の根が乾かぬうちに読書中にマルジナリアをするようになっているかもしれないのでこの話は終わりにしようと思う。