読書の日記#5

どうやら今は本を読むのが楽しい時期のようで、買ったばかりのSwitchのマリオ3Dを数十分で止めてまた本を読んでいる。

ようやく最果タヒさんの「「好き」の因数分解」を読み終えた。最後まで文章のリズムや語感が心地よかったけれども、根底の部分はよくわからなかったところも多々あったというのが正直な感想だ。
このわからなさは、言葉で私の好きをぶつけても何を言っているかは理解しても何故ここまで熱狂しているのか、根底の部分はよくわからないのと感覚としては似ていると思う。他者の好きを理解するのは案外難しい。言葉で具体化してもそれを相手に共感のレベルまで共有するのはもっと難しい。
別個体の人間に言葉で何かを伝え、何かを思わせるってとてつもなく奇跡のような話なんだと思ったし、それを体験することが楽しくて私は本を読むのを止められないんだろうなと思った。

本が読み終わったので積み本から一冊読む本に移動させた。今回はブックマンションのあかりbooksで買ったサイモン・シンさんの著作「フェルマーの最終定理」にした。
これがとにかく面白い。数学とか難しいとこは抜きにしてある巨大な難問を抱えた数学者達の生き様をありありと見せてくれて夢中で読んでる。まだフェルマーの最終予想がどのようにして生まれたかのところまでしか読んでないんだけど、ピタゴラスの時代から脈々と連なる数学の歴史はまるで大河ドラマのようにダイナミック。

あと少し前から柴崎友香さんの著作「百年と一日」を読んでるんだけどこれもめちゃめちゃ面白い。タイトルが粗筋風味である種のネタバレをしているんだけど、粗筋がネタバレとして機能していないところに小説ならではの表現の面白さを感じさせる。
柴崎友香さんの小説は物語の骨子を読むのが面白いというよりも物語の骨子を彩る周辺の表現が面白いから骨子の粗筋がタイトルになってても全くネタバレにならずに面白さが損なわれないんだなと思った。
この本は今月13日に閉店してしまった蔵前のH.A.Bookstoreで買った本だ。同本屋は私のお気に入りの本屋で思い入れがあっただけに閉店しまいやるせない気持ちが強かったが、店主の方の過労が大きな理由なのでお疲れ様でしたとしか言えないのです。Webショップは続いているのでそこで本が買えるから良かった。

読書の日記#4

三日坊主を無事卒業できたことをここに宣誓します。

相変わらず柿内正午さんの「プルーストを読む生活」をダラダラと読んでいる。そこに習慣の話が出ていてなるほどなぁと思った。1日数分でもいいからやり続けることが重要とはわかりつつもその気力が出ないのが人間というのもなるほどなぁと思った。この日記もとりあえず習慣化してくれれば飽きずに年末まで続けることが出来そうだけれども、どこまで続くのかはわからない。人間だもの。いや頑張れよって話なんですが……まぁ何はともあれ読書は喜びなので日記を書くのを止めても本を読むことは止めないだろうな、と思う。

そして今日も最果タヒさんの「「好き」の因数分解」を読む。
インスタグラムの項目で、言葉を尽くせば嫌いは好きと同列に語ることが出来てしまうとあり、言葉の難儀さを感じた。写真はただ自分の見た好きな風景をそのまま載せられるので自分の感情を抽象的に相手に渡せる。しかし、言葉はどんどんと意味を詰め込むから自分の感情が具体化され、具体的に説明しきった上で相手にダイレクトに渡せてしまうツールなんだと思う。だからこそ、嫌いって感情も具体化させやすく、憎悪が明確になってしまうのだろう。文字のコミュニケーションツールのTwitterだと憎悪も好きも自由に行き交っているけれども、インスタグラムはよくも悪くも表面上好きだけが渦巻いてる(Twitterから見るとキラキラ(笑)に見えるかもしれない)のかもなぁ。
そんな私はTwitterの方が好きです。そもそもインスタグラムやってないし。無粋と言われようが自分の感情を具体化することに喜びを覚えるタイプの人間なので玉石混淆な文字ツールのTwitterスラムが居心地がいいのですよ。自分の抽象的な部分を具体化して発信するのは私にとっては快楽なのです。

読書の日記#3

三日坊主で有名な私ですがようやく3日目が来ました。読書の日記3日目です。

今日は「プルーストを読む生活1」と「読書の日記」をダラダラ読んでいた。

プルーストを読む生活1」は相変わらず面白い。丈夫であることのくだりは私もある意味虚弱体質なので納得しかなかった。私も色々あって精神的に万全じゃないのが常だ。
思うに本当に肉体も精神も健康体で社会生活を営んでいる人なんて少ないんじゃないのか、という気になる。
そもそも健康体って何だろう。この社会で身体も精神的にも何も悩むところがない人なんているのか?全人類虚弱体質世界、これがこの世の中なのでは?など訳のわからないとりとめもないことを考えていた。

少し前から1日数ページずつ阿久津隆さんの著作「読書の日記」を読み続けている。この人のように読書から自意識を取り去りただ楽しみのままに読んでいる様を書き表せる人は少ないのではないか。Twitterでもコンテンツ語りで自分を賢く見せる自意識が見え隠れする人よりも純粋にコンテンツに触れるのが楽しそうな人(ある種の狂った人とも言う)の方がそのコンテンツの布教になるってのは常々思っていることだけれども、阿久津隆さんの本の読み方は正に純粋に本を読むのが楽しそうな人が書いている日記だと思った。
私もこうありたいと思いつつも自分を賢く見せる自意識が強い人種の為なかなか自意識が抜けないのが悩みだが、まぁそれはそれで面白いものが読めると思うので是非ブログを読んでくれよな!

読書の日記#2

読書の日記を書きたーい!そういう軽い気持ちで始めたこのブログ。流石に三日坊主で終わらせるなんて展開にはなりませんでした。ただ、私はかなり飽きっぽいのでいつまで続くか……少なくても年内は続けたいですね。

今日は最果タヒさんの著作の「「好き」の因数分解」をちょっと読んで、その後に薬丸岳さんの著作の「Aではない君と」を一気読みして読み終えました。

「好き」の因数分解は凄い面白いし、最果タヒさんの文章めちゃめちゃ好きなんだけど、好きが高じて一気読み出来なくて100P程度の本を一週間前からじわじわと読んで疲れて読むのを中断するってのを前から繰り返してる。好きなものを列挙して私という輪郭を描くことはあっても、好きなもの自体は私とは関係のないものである。という作中の説明には共感をせざるを得なかった。インターネットは好きなものに帰属意識を持ちすぎている人が多いけど、好きなものと自分は全く別のものだから好きなものが大成功してても(嬉しいという個人的な感情は別として)自分の何かが変わった訳じゃないよ、というのは常々思っていたけどそれと通じるところがあるなぁと思った。

もう一冊の薬丸岳さんの「Aではない君と」は少年犯罪を扱った小説で先が気になりすぎて多分3時間位で一気に読んだ。速い読書も遅い読書もそれぞれ味わいがあるなぁと思っているけれども、積ん読の山が大量にあるので速い方が部屋のスペース確保的にはいいかもしれない(けど遅い読書も楽しいから止めない)。

これは少年犯罪ものの王道のようなお話で大きく括ると父親と子供の縁の話だった。犯罪は別世界のものではなくボタンをかけ違えただけの隣り合わせの世界なんだと思った。

遅い読書と速い読書の二冊を同時にブログに書いてみたけれども、遅い読書の方が考えることは多いから沢山語ることが多い。やはりかけた時間と考える量は比例するのかな?と思いつつも、今回速いペースで読んだ本は割と言いたいことがストレートで読めばわかるタイプの本だから、詳しく書くと単にストーリーをなぞっているだけになるので書くことがないだけな気もする。
要するにどっちがいいのかよくわからん。でもどっちの読書も楽しいからオッケーです!

読書の日記を始めたい

読書の日記を始めたい。

最近、垣内正午さんの著書「プルーストを読む生活」という日記本を読んでいるがこれがめちゃめちゃ面白い。著者の知性と読書への楽しみがふんだんに盛り込まれた本で個人的に大当たりの本だった。

こんなに感銘を受けた結果、単純な私は「私もこんな日記本を作りたい!」となったのであった。ただいきなり本を作るなんて土台無理な話なので他人に気軽に読んでもらうツールであるブログで似たようなことをやっていきたいと思い、久しぶりに放置していたブログを開き、日記を書いているのである。

というわけで、読書の日記、始まります。

今日は山本貴光さんの著書「マルジナリアでつかまえて」をようやく読み終えた。
この本を要約すると、本を読むのにマルジナリア(本の余白の書き込み)をすることで攻めの読書ができ、本が自分だけのカスタムされた一冊になる。という内容だった。
読みながら確かにこの方法を取るとより本の内容に対して攻めの読書が出来るかなと思う一方で、本に書き込むのにはやっぱり抵抗がある、また読み返す時にきれいなままで1から読み返したい等別に書き込みしなくてもよくね?って気持ちもある。この本はめちゃめちゃ面白かったけど、多分私は余程のことがなければマルジナリアをすることはないと思った。

ただ、そんな私もこの本を読む前からマルジナリアをしている本がある。それは教科書だ。私は教科書にとにかく書き込むタイプで新しく知ったことはゴリゴリ書き込む。今でも勉強の際には勉強の際に使用する本には迷わず書き込み─即ちマルジナリア─をする。

この二つの境目は一体なんであろうか。無意識のうちに勉強と読書を分けているのか、それとも何か自分ではわかっていない理由があるのか……よくわからないのが本音である。

基本調子がいいのが私なので舌の根が乾かぬうちに読書中にマルジナリアをするようになっているかもしれないのでこの話は終わりにしようと思う。

ポケットモンスターアドバンスジェネレーション第8話「ハブネークVSキモリ!必殺のはたく攻撃!!」感想

1.はじめに

 私はアニポケで断トツでシュウが好きなんですが、そろそろシュウの出てくる回が見たくなってきましたが案外先は長いですね……。

 

2.スタッフ周り

脚本 藤田 伸三氏

絵コンテ・演習 浅田裕二氏

作画監督 岩根 雅明氏

浅田さんが絵コンテと演出を兼任されている回ですね。岩根さんが作監なのも個人的に意外でした。

 

3.感想

 開幕ご飯シーンで始まります。皆キモリには初対面なのであいさつしますが、キモリは元々の一匹狼気質から挨拶もせずに木の上に上ります。口々に意見をメンバーが言いますが、タケシの「あれがキモリにとって落ち着くのだからそっとしておこう」と意見からそっとすることにします。

 ここでもタケシが方針を決めている辺り、この時点ではサトシはハルカの先輩ではあるがあくまでも少しトレーナー経験を積んでいる少年にすぎず、このチームのリーダーはタケシなんだと感じます。

 食事を食べるハルカ達、アチャモは木の実を口に大はしゃぎ。マサトに「トレーナーに似て落ち着きがない」とまで言われてしまいます。ここでアチャモが木の実が大好きで目がないことが何となく示されていますが、これがのちの33話である事件を起こしてしまします(多分このシーン自体は複線でもなんでもないんでしょうがw)

 このあと、アチャモハブネークに餌をとられ捕まるなどのトラブルが生じ、そこにキモリが来てキモリVSハブネークとなるもキモリは負けてしまいます。

 そして、この後にハブネークはまさかのムサシVSハブネークでムサシが勝ち、ムサシはハブネークをゲットします。全体的にギャグみたいなノリなのでこういうことが出来たのでしょうなw

 そしてキモリは治療を脱走。一人でハブネークに勝つための特訓をしていました。

 この時、ハルカは「ちょっとかっこいいかも!」とどこか第三者というか観客席で見ているような、コンテンツとして消費しているような軽さだったのですが、バトルの真剣さや辛さを知っているサトシは何も言わずにキモリを見守ります。

 キモリは特訓の結果、威力を高く出すための身体の動きを身につけます(とはいえはたくですが……まぁAG終盤まで多用する重要技ではあるんですけど……w)

 リベンジマッチをするキモリハブネーク。そこでサトシは「一緒に戦う」という選択を取ります。キモリに的確な指示を出し、キモリとサトシは勝利します。

 ここでもキモリの一連の行動へのサトシとハルカの違いが明確に出ているのは面白いと思います。ハルカがどこか他人ごとでコンテンツとして消費しているような観客視点のコメントだったのに対してサトシはキモリの気持ちを汲み、一緒に戦うべく助力しました。これはキモリの負けた悔しさをサトシは真の意味で知っているからだと思います。ハルカも初バトルは敗戦でしたが、その後に「あんなやつパパに負ければいい」とどこか他人ごとですので、ハルカはまだ真の意味で負けを実感していないのです。

 まだまだお客さん気分が抜けないハルカがどうなるか、楽しみですね。

ポケットモンスターアドバンスジェネレーション第7話「キモリの森!巨大樹を守れ!」感想

1.初めに

前回の感想ですが、個人的に出来の悪い感想になってしまったなぁと少し反省しています。何故ならばストーリーをただ並べている文章になっているんですよね。それはあの回が見ればわかる良い回というのもありますが、私が無印に精通していない関係での読み込みの甘さもあったと思います。今後は意図的にこういうようなことはしないように気をつけて自分の感じたことを自分の言葉でちゃんと伝えていけたらいいなと思います。

 

2.スタッフ周り

脚本 松井 亜弥氏

絵コンテ よこた 和氏

演出 大町 繁氏

作画監督 酒井 KEI氏

 

3.感想

 ハルカとマサトの喧嘩で始まるこの回。マサトが道案内をしていたのにハルカが「なんとなくこっちの方が楽しそうだから」というワガママな理由で勝手に進路を変えてしまいました。これはハルカが旅を旅行と考えていることが明示されています。コンテストにしろリーグにしろ出場するには一定期限があり、それまでにバッチ等を集める必要があるので、計画を確認せずに勝手にルートを変更するのはご法度です。挙句の果てには「ポケナビ持ってるマサトがちゃんと道案内をして!」と逆切れかまします。完全に単なるワガママキッズです。

 ハルカは結構ズボラなところがありますが、そのいい加減さが悪い意味で表に出てしまったシーンだと思います。

 そうこうしているうちにキモリが登場。サトシはオダマキ博士のところで来た時からから気になっていたようでゲットしようとします。しかし、ボールを投げても失敗。ここでハルカからは「私の時あんなに偉そうにしてたのに」とイヤミを言われてしまいます。ハルカ案外根にもつというか、ハルカにとっては先輩と思っているというより自分よりも経験のある同世代という認識なんでしょうな。

 サトシはその後ピカチュウと共にキモリの木と集落にたどり着きます。しかしそこでは異様な雰囲気。キモリたちは朽ちた木をどうするかでもめているようでした。

 枯れた以上どうしようもないとする長老キモリ、枯れた木を諦めきれないキモリロケット団ニャースの通訳でどういういざこざが起きているかわかっていますが問題に干渉するつもりはなさそう。他方サトシとピカチュウは目的のキモリ待ち伏せすべく枯れた木の場所にとどまります。ここで登場人物全員が絶妙に相手の認識や問題点を気にしていない・気づいていないことは先の展開にどう影響するのか、ポイントになるかと思います。

 サトシがピカチュウキモリをゲットしようとしている一方、ハルカ・マサトはタケシのお手製クッキーを食べています。サトシを心配するマサトに比べてハルカはタケシのクッキーに大興奮。ハルカのサトシへの興味のなさがすごいです。自分から旅にさそったのに……wwwここからもハルカは面倒くさいことは割と他人になんとかしてもらおうとする妹気質が実はあることがわかります。

 不安そうなマサトを見たタケシは「サトシならピカチュウがいるから大丈夫」となだめます。このタケシの発言と余裕は今までのサトシの経験への信用の表れ何だろうと思います。マジで今回マサトとタケシしかサトシの心配してないような気がするぞ!ハルカ、クッキー食べてるし……

 サトシは枯れた木で張り込みをし続けるとキモリが現れます。キモリは枯れてしまった木を諦められず、献身的に世話をします。この木が再起不能の可能性が高いことに気づいているサトシはキモリの姿を複雑そうな顔で見つめますが、途中からキモリの活動に協力し始めます。サトシはキモリの事情を完全には理解していません。しかし、彼がキモリに協力したのは可能性が0じゃないなら努力するサトシらしい行動だと思いました。サトシは本当にポケモンが大好きな子なんだと再確認しました。

 ここでサトシはキモリを手伝うだけではなくスバメに仲間に自分の居場所を伝えるように伝えます。ちゃんと仲間に気を配れるようになったところは無印で新米だった彼が未熟ながらも成長した証だなと思いました。

 そこにロケット団が乱入。他のキモリが連れ去られてしまいます。サトシはピカチュウで応戦するもピカチュウの対策はされており、逆にピカチュウは捕まってしまいます。スバメも前出の仲間への連絡のために手元にはいません(今回キモリを目立たせるためにスバメをバトルに使用したくなかったというメタ的な理由を自然に解消した脚本手腕はさりげなくとも素晴らしいと思いました。)

 そこで活躍するのがキモリです。キモリの活躍でロケット団を返り討ちにします。

 すると、キモリが大切にしていた枯れ木に変化が起きます。真っ二つに割れ、今までの枯れ木の半生のような映像が流れます。サトシはこれを「キモリに木がお礼を言っている」と伝えますが、キモリに切れられてしまいます。

 まぁ、大切なものが失った直後に「でもその者は君に感謝してたしよかったじゃん!」とか言われたらちょっと無神経な気もします。喪失による寂しさはそれとは別種の感情なので……サトシは優しさからそういう話をしたのでしょうか、しょせん彼は10歳。そこまで心の機微がわかるわけではありません。

 そこでピカチュウVSキモリキモリの素早い動きに翻弄されますが、タケシのアシストもあってサトシはキモリに勝利し、ゲットします。

 キモリは他のキモリ達に枯れ木の種を渡し、その場を後にします。この新しい種が長い年月をかけて大きな木となるのは喪失と再生というのがこの回で意識されてるのかなと思いました。キモリはサトシの手持ちとして再生し、枯れた木は新たな趣旨として再生する。サトシもキモリという新たなパートナーを捕まえ、再生していく……。

 まぁ、そのテーマを真正面からやるには尺や作りこみが甘いかなぁと思いますが、お約束展開の多いアニポケでは仕方がないのかとも思います。

 

5.終わりに

 今回はサトシとポケモンの回という印象。やっぱりサトシとピカチュウは絶対無敵にコンビだなぁと思いました。

 次回は8話「ハブネークVSキモリ!必殺のはたく攻撃!!」です。

 次もよろしくお願いします。